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労働者自主福祉運動のすすめ(15)


「福対協」第1段階の「物資斡旋事業」は、静岡県からの補助金30万円も得て、1953年より労金利用を条件にした自転車の斡旋販売からスタートし、大成功を収めます。

1956年11月「第1回生協設立小懇談会」が、県評・福対協・労金から選出された委員によって開催されます。
その議論をもととして中央の動きを見極めながら、翌年1月開催の「第2回生協設立小懇談会」において、火災共済・労働質庫・物資斡旋の事業は各々別人格の組織によって運営する方針を決定しました。

「労働質庫事業」は1957年3月「静岡市労働者生活協同組合」を設立し、11月より「静岡労働質庫事業」からスタートさせました。

「火災共済事業」は同年2月「静岡県労働者共済生協設立懇談会」を開催し、共済生協の具体的な構想を固めました。
当面は火災共済事業に特化し、設立までの事務経費や事務責任者は福対協が負担することでスタートを切るというものです。
そして1957年6月、旧・労働会館(現静清信用金庫)で「静岡県労働者共済生活協同組合(静岡労済)」創立総会が開催されました。
旧・労働会館の階段下の1室で、職員1名からのスタートでした。

創業から認可までの苦労も並大抵ではありませんでした。
開始時2万人確保の目標どころか、認可基準の1万人までの最低基準にもなかなか達しませんでした。
それでも幾度かの折衝ののち、1958年7月にようやく厚生省の認可を得ることができました。
県の承諾をもらうために、年内に基準に達しなければ取り消されても異議なしの一筆を入れてのことでした。

しかし1年経過しても加入者は僅か8千人にとどまり、「せっかく生み落としながら不義の子として、労働組合から育てられない、肥立ちの悪い栄養失調の捨て子労済ではないか」などといった嘆き節も聞こえたといいます。
当時の記録がないのでその詳細はわかりませんが、共済の場合は全労済よりも早い段階から「単産共済」がスタートしていたことも影響していたのかもしれません。

しかし苦労しながらも10年後には自前の建物を有するまでの発展を遂げていき、1969年には中央労済と統合し「静岡労済」は「全労済静岡県本部」として新たなスタートを切りました。

つづく

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