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日本の生活協同組合の歴史

1、戦前の生協運動
 
第2次世界大戦の前にも、消費者の協同組合は数多くありました。これらは、産業組合法に基づいて設立され、「消費組合」「購買組合」などと呼ばれていましたが、その組織基盤やイデオロギーによっていくつかの系統に分かれていました。しかし、戦争に至る動きの中で、多くの生協は解散させられたり活動休止に追い込まれていきました。
 
2、戦後の生協運動の再生
 
敗戦直後、飢餓に苦しみながらの生活の中で、自主的な協同によって暮らしを守るために、戦争中に解散したり、活動を休止していた生協が再建され、町内会単位に新たな生協も次々とつくられていきました。生協運動が復興する中で、戦前の生協運動が戦争の道に抵抗することができなかった反省から、大同団結の道が探られ、1945年に日協同盟という全国組織が作られ、48年には生協法が成立しました。しかし、その後の不況の深刻化により日協同盟の基盤は弱体化してしまいました。しかし、その一方で、全国的な指導組織が必要となっており、51年に日本生活協同組合連合会(日本生協連)が設立されました。
 
3、経済復興と生協の活動領域の広がり
 
  1950年代後半には家庭電化製品などの普及が進む中、信販事業を主とする広域生協や住宅生協も生まれ、各分野の生協が出そろい、これまでになく活動領域が広がりました。この時期の生協運動を牽引したのは地域勤労者生協でした。
一方で、ドッジ・ラインと呼ばれる一連の金融引き締めの経済政策のもとで賃上げを抑えら  れた労働組合は、食料品や労務用物資の獲得など、生活と福祉の分野に力を注ぐことになりました。50年にあらためて労働組合福祉対策中央協議会(中央福対協)が結成され、51~53年にかけて全国各地に地方福対協がつくられていきました。このような福祉問題の比重の高まりは労働者の協同組合への関心を高めることになり、各地で労働金庫の創設、地域勤労者生協、労働者共済生協づくりなどが取り組まれました。
また、戦後の民主化は婦人解放を飛躍的に推し進め、参政権の獲得や食料危機、生活難などが婦人の政治的・社会的自覚を高め、生協運動にも多くの婦人が参加する道を開きました。
 
4、消費者運動の前進と生協運動の新たな展開
 
50年代後半から60年代にかけては、消費革命や流通革命にどう対応していくのかが大きな課題であり、手探りが続けられ、生協は組合員のくらしの変化と流通近代化の中で「地域化」に取り組みました。大学生協は地域に新たな生協づくりを始め、物価や公害問題に関心の高い主婦層を中心とした新しい地域生協「市民生協」づくりが進むこととなりました。また、労働者福祉運動の活発化のなかで誕生した住宅生協が労働者のための住宅事業を展開し、労済生協も共済事業を充実させ、医療生協や学校生協も日本生協連の指導のもと、発展を見せました。
新しい生協は店舗志向の生協が多く、力量不足で事業経営的には苦戦するところが多かった中、静岡生協では、店舗のほかに販売車による巡回供給を行っていましたが、独自に共同購入方式を試行し、徐々に班の定期予約共同購入方式を確立していきました。同じころ、生活クラブ生協なども同じ方法を編み出し、店舗を持たない共同購入生協が誕生していきました。また、班の組織化もすすみ、これは日本の生協運動の発展に大きな役割を果たすことになりました。
 
5、主婦層を中心に、全国に広がる「市民生協」
 
 新生生協の多くは、共同購入事業を展開し、若い主婦層を中心にする組合員自身による出資・利用・運営参加を三位一体とした実践と活発な活動、組合員参加の事業に支えられ、全国の主要都市に大きく広がっていきました。共同購入は70年代後半から諸システムを充実し、業態として定着して80年代の生協運動の飛躍的発展を準備することとなりました。
同時に70年代後半から、不況とインフレ、競争激化の中で苦しむ中小小売業者の不満を生協攻撃に向ける動きが各地で発生しました。全国中小企業団体中央会は、大企業などの範囲に一定の条件を備える生協・農協を入れるよう表明し、さらに全国商工会連合会は農協及び生協を規制対象とすることを要求しました。こうした規制攻撃に対し、日本生協連を中心に全国的な反対運動を展開し、大店法・商調法の改正の中で生協規制を除外させましたが、その後も生協を規制しようとする動きは続き、「生協の社会的役割」についての理解を求める活動がますます重要になっていきました。
 
6、生協規制を克服、飛躍的発展へ
生協規制の動きは、88年の国会で「大規模生協に対する課税強化の法人税法改正」を成立させたことで、政治的な動きは止まりました。生協は、組合員の加入拡大と店舗運営の組織的強化をすすめながら、あわせて「理解と共感を得る活動」を、それまで疎遠だった商業者や政党関係を含め強化し、社会的ポジションの確立に努めました。
その間、地域生協の組合員世帯の地域シェアは、80年代の8%から90年代には22%へと拡大し、都市部の消費者・主婦から農村部を含むさまざまな層に広がり、多方面の社会的課題への取り組みを大きく広げていきました。
 
7、転換期の困難と発展への再構築
90年代初頭、組合員は引き続き増加し、事業高も10%前後の伸長を見せ、92年、日本の生協はこれまで最高の到達点でICA東京大会の開催を迎えました。県域を越えたリージョナル連帯が進められ、店舗事業への本格的挑戦も始まりました。 しかし、バブル崩壊と不況のもと、94年に全国生協の事業高は前年割れとなり、以降、事業の低迷が続くこととなりました。95年、阪神淡路大震災が発生し、現地の生協も多大な被害を受けましたが、ただちに事業の再開に努める住民・組合員の救援活動を展開しました。被災直後からの購買生協の物資供給、医療生協の救援・診療活動、大学生協の炊き出し活動や行政との連携による救援物資の取り組み、さらに全国の生協からの素早い支援活動は被災者と関係者を励まし「被災地に生協あり」と高く評価されました。この経験は2011年の東日本大震災での全国の生協による救援活動につながりました。
生協は今、連帯を前進させながら、新たな協同が生きる社会をめざし、生協のあり方を探し求めています。

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