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資本論(1)

派遣社員で食いつなぐ人々、能力がないから仕事がないという人々、働けど働けど貧困から抜け出せない人々。
企業が倒産し、いきなり職を失って再就職に苦しんでいても「自己責任」という言葉で押し切られる人々もいる。
個人で解決できる問題ならばなんとでもしようが、失業対策や雇用創出政策は国家や社会全体で考えるべきことではなかろうか。
なぜこんな社会になっているのだろうか?
その意味を考えるときには、資本主義社会の構造を知るべきだ。
資本主義を知るための最適の書物は、アダム・スミスの「国富論」と、資本主義の欠点を指摘したマルクスの「資本論」だろう。

アダム・スミスの考え方は、簡単に言うと、自由競争をさせることにより、経済は効率化していき結果としてうまくいくから、政府はできる限り、経済活動に口を挟まぬ方がいいということだ。

資本論の著者カール・マルクスは、1818年ドイツで生まれ、ベルリン大学で哲学者のヘーゲルの思想に影響を受ける。
卒業後、新聞の編集主任として活躍するが、政府から弾圧を受け辞職する。
その後、結婚した妻とパリに移転したマルクスは、社会主義や共産主義の勉強に取り組み、詩人ハイネやエンゲルスらと親交を深めていく。

1845年、マルクス夫妻はフランスから国外退去を命ぜられ、ブリュッセルに亡命する。
マルクスはブリュッセルで経済学の勉強を始め、移転してきたエンゲルスとともに、共産主義を国際的に宣伝し、組織化するために「共産主義者通信委員会」を設立する。
のちに「共産主義者同盟」と改められたが、同盟の第2回大会において同盟の宣伝の起草を頼まれた二人は、1848年「共産党宣言」を出版する。
しかし思うように共産主義運動は広がらず、同志は次々と逮捕されていくなかで、マルクスは社会主義の理論や労働者階級の解放の科学的な理論を「経済学批判」として刊行する。
8年後の1867年、有名な「資本論」第1巻が出版された。
マルクスは病気療養を続けながら資本論の続刊をまとめようとしたが、1883年、65歳でこの世を去る。
残された盟友エンゲルスは、マルクスの遺稿の整理編集に10年以上をかけ、資本論第2巻と第3巻を出版した。

「資本論」を理解するための前提として、マルクスが提唱した「唯物史観」について知っておく必要がある。
彼は「経済学批判」の序言で「ブルジョア社会の解剖は、これを経済学に求めなければならない」として唯物史観の公式を書いている。

人間は社会の生産力に対応する生産関係をつくる。
生産力とはその時代の経済力(土台、下部構造)であり、生産関係とはこれに対応してつくられる法律や政治形態(上部構造)のこと。
これまで人間は、原始時代の共同体、古代の奴隷制、中世の封建制、そして近代の資本制という発展を遂げてきた。
たとえば、中世封建社会で生産力が発展してくると、次第に上部構造と合わなくなってきて、古い上部構造は壊され、新たな近代資本制(資本主義)という土台が成立した。
そして、その土台に適合した法制度や国家がつくられて発展していく。
同様に、今や資本主義という土台はその上部構造と矛盾をきたすから、やがて革命が起こり共産主義という新たな土台ができ、それに適合する社会ができる。
マルクスは特に、資本主義から共産主義への発展は、プロレタリアによる階級闘争によって実現されるとした。


(つづく)

参考(資本論 カール・マルクス、超入門資本論 小暮太一、マルクスの資本論 土肥誠)

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